西郷南洲遺訓に、過ちを改むるに、自ら過ったとさえ思い付かば、それにてよしという言葉があります。過ったときは、自ら過ったことを素直に認め、次の一歩を踏み出すことがよいという教えであります。しかし、民主党政権になってから、過ったにもかかわらず、それを認めず、言い訳を重ねる総理や閣僚が続出をいたしました。
○川内委員 ちょっと時間もないので次に行きますが、まさしく私も大臣と同じで、私の郷土の大先輩である西郷南洲の南洲遺訓の中には、制度方法を行うときその人にあらざれば行われがたしという遺訓がございます。要するに、法律や制度はだれが運用するかが大事なんだということを言っているわけですよね。そういう意味で、私も大臣と全くそういう点では同感であります。
要は、今後消費税を引き上げるとかいろいろな計画があるというふうに思いますが、これはやはり、西郷隆盛の南洲遺訓とか何かそういう書物があって、その中に、為政者は下民、下民という言葉はよくないですね、国民に気の毒のように思われなければ政令は行われがたしという言葉があります。
私は、維新の元勲であります西郷隆盛先生をこよなく尊敬しておりまして、西郷先生の語録が残っております南洲遺訓という有名なものでございますが、肌身離さず持っておりまして、いつも読ませていただいておりますが、私にとってのバイブルのようなものでありますけれども、その中にこういう記述がございます。
今も要らず、名も要らず、官位も金も要らぬ人は始末に負えぬものなり、しかし、この始末に負えぬ人ならでは、報難をともにして国家の大業をなし得ることは不可能であるということを、西郷は南洲遺訓で残しております。 私は、政治家を含めた国家運営に携わる者としての覚悟は、全くこの一言に尽きるだろう、これがないというところが、今日本が抱えている最大の問題ではないかというふうに思っております。